南米はコロンビアから、こんにちは!(1)
- ロベルト杉浦
- 2018年11月7日
- 読了時間: 2分
いきなり「コロンビアからこんにちは!」から始めよう!
私は長年に渡り、南米諸国に於いて2008年まで1997年に初めてアルゼンチへと始めて渡ってから、歌手として、時にはテレビ出演ではコメディアンとしても活動してきた。
時にはその国毎の仕事のビザを、マネージャー達と契約し取得して住んだり、時には日本と南米諸国を行き来しながらである。
そして日本へ定住すること10年の年月を経た今、どうしてもやり残したものに気付かされる。その一つに、「南米のコロンビアの魅力を伝える」と云うものがある。そして私自身がアルゼンチン・タンゴ、ボレロ、マリアッチなどを歌う歌手としての固有な観点から、コロンビアの持つ素晴らしい文化に焦点を当てながら伝えて見たいと思う。
様々なる職業や立場から成り立つ複合的な視点は不可欠であり、相互が双方を補いながらコロンビアの魅力に付いてより立体的な情報を得て頂ければ望むところだ。伝える側が何者かによって、伝える物事が全く異なることが重要であると信じる。
主に日本の皆様に、コロンビア に付いての興味をそそらせる何らかの切っ掛けを、面白く全くの自己流で情報提供して行きたい。
今から9年前、ちょうど私がビクターエンタテイメントからメジャーデビューしたその年に、コロンビア 領事館長のホセ・ディアス(Sr.José F Días) さんの協力を得て、「ロベルト・杉浦が誘うコロンビア ・ナイト」を主催したのがこれである。http://tokyocultureculture.com/event/general/13747
これは実に楽しい一夜であった。あれからと云うもの、日本国内人口の年齢層との関連から音楽に対する需要の関係もあり、日本では昭和歌謡曲を歌い始めて続けてきたが、やはりこの様な活動をどうしてもしたいまま燻っていたのである。
失敗は幾らでもして良い。そこからまた学んで進めば良いことだけだ。
そして実際に多くの失敗を得て、私は多くを学んだ。
心の地獄に落ちた時には、私は自分の死体も見た。
馬鹿にされ様がが笑われ様が、自分の人生だから自らの人生の主権を全うする。
何故なら、他人とは自分の推定を多くうわまって、尽く他人には無関心無責任であり、残念ながら人を叩く時だけは異常に関心が高い。それを良いとか悪いと言っているのではない。ただそれが「一般世間」だ、と肯定的に諦観しているだけだ。ただそれに振り回されなければならない責任は無い。
歌いながら、考えながら、一歩一歩これから綴って行きたい。
2018・11・5
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